岡田至 元中央卸売市場長の経歴は?豊洲市場の盛り土問題で石原慎太郎氏や、計画時期の比留間ヒ英人氏、盛り土から転換を決めた時期の岡田至氏だとか、工事時期の中西充氏、塚本直之氏の名前も出ています。今回は疑いの眼差しで見られている岡田至元中央卸売市場長の経歴と責任を問う声が何故一番多いのか調べてみました。石原慎太郎氏が承認いていた様ですね。

今回は中央卸売市場長をしている時期と、専門家会議、技術会議の時期を照らし合わせ見ましょう。

岡田至氏を追求する声が一番多い理由が見えてきます。経歴も含めて。

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豊洲市場は石原慎太郎の責任?歴代の中央卸売市場長?比留間英人?岡田至?中西充? 

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まずは、地下空間を提案して来た理由から・・・

先日、石原慎太郎元東京都知事が、会議や比留間英人氏に地下空間の利用を提案したことを認めました。しかし、これは比留間英人氏が地下空間はコスト面が逆に高騰してしまうことから、採用できないことを伝えています。

この地下空間の利用は専門家会議開始時から何度も違った利用法で提案されているそうです。

  • 市場関係者が乗り回している、一度は乗ってみたいターレ(ターレット・トラック)の置き場所案→却下
  • 上記コンクリート空間の提案→コスパ面から却下
  • 地下駐車場という利便性の高い案→有耶無耶になり立ち消え

と言った具合に、何度も利便性を前面に出しつつ提案が出されました。

なぜ東京都側は地下空間に拘ったのでしょう。

東京都というよりも石原慎太郎氏とも言えるかもしれませんね。

まずは、コスパ面です。コンクリートBOXを設けた方が高いと比留間英人元市場長は石原慎太郎氏に伝えたと語っています。が、その前に綺麗な土ってのは高~いんですね。豊洲市場を計画通り盛土をした場合よりも、しなかった場合の方が五十数億円浮かすことができる出るという試算が出ていたようです。綺麗な土を出来るだけ使いたくなかった!

これは地下空間を設置しなかった場合も考えられますので、地下コンクリートBOXを設置したら、それを上回るのかも知れません。だから、会議で地下BOX案を却下したのかもしれませんね。

何故、東京都がコスパ面を重視したのか?

地方自治体の中でも潤沢とも云えるお金がある東京都がコストパフォーマンスに拘ったのか?これについては、当時、築地関係者側が土壌問題等の安全面を理由に移転を反対していました。

東京都や石原慎太郎氏はコスパを抑える事を説得材料にしようとしたんですね。あとは時間的な問題も考えられますし、労力の問題も考えらます。期間を短くしたいとも考えていたのかも知れません。

そこに、専門家(誰だよ!)が石原慎太郎氏に耳打ちして、石原裕次郎の兄がそれに拘ったというのがあるようです。

都の職員はそれに従うしか無かったのかもしれませんね。

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豊洲移転に関わった歴代の中央卸売市場長

比留間英人(06年7月~09年7月)現職:東京メトロ代表取締役副会長

岡田至  (09年7月~11年7月)現職:東京歴史文化財団副理事長
中西充  (11年7月~12年7月)現職:東京都副知事(都庁職員)
塚本直之 (12年7月~14年7月)現職:東京動物園協会理事長
岸本良一 (14年7月~)

殆どの方が天下りってことになっていますから、今回、責任問題を逸らかして責任逃れをするかもしれませんね。Twitterでは背任行為と言うことで、告訴告訴告訴と盛り上がっています。

比留間英人氏が市場長の頃の年表

  • 06年10月 豊洲新市場基本設計相当確定
  • 06年12月 「豊洲新市場整備等事業実施方針」及び「豊洲新市場整備等事業業務要求水準書(案)」公表
  • 07年4月 「豊洲新市場予定地における土壌汚染対策等に関する専門家会議」設置
  • 08年7月 「豊洲新市場予定地における土壌汚染対策等に関する専門家会議報告書」公表
  • 08年8月 「豊洲新市場予定地の土壌汚染対策工事に関する技術会議」設置
  • 09年2月 「豊洲新市場予定地の土壌汚染対策工事に関する技術会議報告書」公表
  • 09年2月 「豊洲新市場整備方針 」策定
  • 09年5月 環境確保条例に基づく事業段階環境影響評価手続として「調査計画書」提出

専門者会議を設置したのが07年4月、解散が08年7月、この専門家会議の最終段階で【盛り土は必要】との結論が出されています。

そして、専門家会議とは別の具体的な工法を話し合う技術会議を08年8月に設置します。
専門家会議が結論付けた【盛り土が必要】を前提とした設置だったと考えるべきか、それを否定死体が為に短期間で設置したのか。恐らく前者でしょう。技術会議出席者・長谷川猛氏も「盛り土をしないと云う話はなかった」述べています。

岡田至氏が市場長の頃の年表 

  • 10年2月「豊洲新市場整備等事業実施方針」の取消を公表
  • 10年8月「豊洲新市場予定地の土壌汚染対策工事に関する技術会議報告書(その2)」公表
  • 10年11月環境確保条例に基づく「豊洲新市場建設事業の環境影響評価書案」提出
  • 11年3月豊洲新市場建設工事基本設計の受託者をプロポーザル方式により選定し、契約を締結
  • これが日建設計

  • 10年3月豊洲新市場予定地における土壌汚染対策費用の負担及び用地取得について東京ガス株式会社と合意し、土地売買契約を締結
  • 11年3月国が、第9次中央卸売市場整備計画を策定し、第8次に引き続き豊洲新市場を新設市場として位置づけ
  • 11年4月全ての用地の取得を完了
  • 11年5月東京都卸売市場審議会により答申された東京都卸売市場整備基本方針に「豊洲新市場を14年度開場を目途に整備する」と明記
  • 11年6月に日建設計が基本設計図書を都に提出
  • ↑(盛土はない空洞式。これより以前に東京都は空洞式を決めていた。設計会社と都の話し合いは繰り返し行われていることは当たり前に考えられるので、これより前に決定していたと見るのが自然な形。)

あらゆる事が決まって行きますね。土壌汚染対策の費用の負担とかも決まっていますね。用地の取得なども決まっていますし、豊洲市場をどのように運営していくのかというのも決まっています。
日建設計が基本設計を提出した時期がここです。(この時点で空洞は決定していたのです。)

中西充氏が市場長の頃の年表

  • 11年7月東京都環境影響評価条例に基づく事業段階環境影響評価手続として「環境影響評価書」を提出
  • 11年8月都市計画法に基づき、都市計画市場として位置等が決定、告示
  • 11年8月東京都環境影響評価条例に基づき、環境影響評価書が告示、縦覧
  • 11年8月30日月土壌汚染対策工事について、一般競争入札により契約を締結
  • ↑石原氏が「盛土なし」を承認していた時期 ※後述

  • 11年10月豊洲新市場建設工事実施設計の契約を締結
  • 11年10月第15回「豊洲新市場予定地の土壌汚染対策工事に関する技術会議」開催
  • 12年1月東京都卸売市場整備計画(第9次)において、「豊洲新市場を平成26年度開場を目途に整備する」と明記

土壌汚染工事の会社が決まった頃ですね。「豊洲新市場建設工事実施設計」も締結されてます。見積もりから工法など提出・審査されるでしょうから、この時点では決まっていたと見ていいでしょうね。

塚本直之氏が市場長の頃の年表

  • 12年7月第1回「土壌汚染対策工事と地下水管理に関する協議会」開催(平成27年3月まで6回開催)
  • 12年11月第14回新市場建設協議会において、豊洲新市場の施設計画について、市場業界と合意
  • 12年11月「千客万来施設事業基本方針案」の公表
  • 13年1月土壌汚染対策工事の工期(最大1年間)及び市場施設の竣工時期(平成26年度中から平成27年度へ1年)の延伸の公表
  • 13年8月「千客万来施設事業募集要項」の公表
  • 13年11月豊洲新市場管理施設棟建設工事の契約を締結/「千客万来施設事業提案書」の受付
  • 13年11月豊洲新市場管理施設棟建設工事の契約を締結
  • 13年12月第16回「豊洲新市場予定地の土壌汚染対策工事に関する技術会議」において7街区のガス工場操業に由来する土壌及び地下水の汚染対策完了を確認
  • 14年2月豊洲新市場青果棟、水産仲卸売場棟、水産卸売場棟建設工事の契約を締結
  • 14年2月「千客万来施設事業予定者」(2者が参画するグループ)を決定
  • 14年2月第17回「豊洲新市場予定地の土壌汚染対策工事に関する技術会議」において、5街区全域及び6街区西側のガス工場操業に由来する土壌及び地下水の汚染対策完了を確認
  • 14年2月豊洲新市場建設工事の起工式が執り行われ、建設工事に着手

工事が始まる前の段階~工事に着手する段階の頃ですね。塚本さんは決定した訳ではないでしょうが、盛り土なしの地下空洞というのを知らなかったとは言えないでしょうね。

岸本良一現市場長の年表

  • 14年11月第18回「豊洲新市場予定地の土壌汚染対策工事に関する技術会議」を開催し、土壌汚染対策工事が全街区においてすべて完了したことを確認
  • 14年12月第16回「新市場建設協議会」において、豊洲新市場の開場時期を平成28年11月上旬とすることで市場業界と合意。
  • 14年2月千客万来施設事業の事業予定者の一部が辞退
  • 14年4月千客万来施設事業の代表企業である事業予定者が辞退
  • 14年6月「千客万来施設事業再公募の概要」の公表
  • 14年7月第17回「新市場建設協議会」において、豊洲新市場の開場日を平成28年11月7日とすることで市場業界と合意し、新市場の名称を「東京都中央卸売市場豊洲市場」と公表した。
  • 14年9月「千客万来施設事業(6街区)募集要項」の公表

上記参考・引用元:http://www.shijou.metro.tokyo.jp/

現在の市場長である岸本さんは工事中・完成・移転準備と最終段階を任せられた方ということになりますね。恐らく、豊洲市場に関するホームページも資料も見ているでしょうし、現地を見ているだろうと思いますが、もしかしたら、東京都の職員が隠して見せていないということも考えられますね。これが的中したら、これもブラックボックに入るのかな?

ちなみに、工法決定時期の中央卸売市場長は「盛り土をしなかったこと、地下空間の存在はしらなかった」と言っています。んなこたぁない。

盛り土なし工事決定時期と石原慎太郎氏の承認。

上を踏まえて案が得ていくと、比留間英人氏時代はまだ模索状態だったことが読み取れます。そして、11年6月に日建設計が基本設計を都に提出しています。東京都側との打ち合わせは勿論下でしょうから、東京都の以降に沿った設計だったことは理解できます。

この時期の中央卸売市場長は岡田至氏です。
その2ヶ月後の11年8月30日に石原慎太郎氏が承認していた事実が発覚しました。

この間に岡田至氏は中央卸売市場長を退任し、新しく中西充氏が着任しています。
ですので、中西充氏は地下の空洞は知っていたと思われます。

そして、近く空間を決定したのは岡田至氏の時期と見ていいでしょう。

承認した石原慎太郎氏は「同じことの繰り返し」とコメントを拒否しています。
それにしても、呂律が回っていませんでした。

承認内容は?

建設エリア以外については埋め戻すが、建設エリア以内は盛土をしないということが明記されているとのことです。

後半は岡田至氏について・・・

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当時の中央卸売市場長・岡田至氏の経歴等について

  • 埼玉県出身
  • 東北大学法学部卒
  • 1975年東京都庁に入る
  • 財務局主計部予算第一課長
  • 港湾局惨事
  • 新銀行東京執行役
  • 2009年 中央卸売市場長に

市場長の就任挨拶で、

この中で岡田氏は卸売市場移転
に対して再検討を主張している都議会の各派に対して「地元要望や既存施設の機能限界と新市場開
設までのタイムリミットなど十分に議論を踏みながら検討してきた経緯を説明し、理解を求めてい
くしかない」と抱負を述べた。
引用元:https://www.nikoukei.co.jp
 

ということなのですが、2011年6月に日建設計から基本設計が東京都に提出されているのですが、これの前の2011年3月の基本設計案の段階では地下空間というのは無かったとされています。
2011年3月というのは【東日本大震災】があった時ですね。この影響は少なからずあったと思われます。岡田至氏の構想では【高床式】。

もしかしたら、この【高床式】が耐震と云う問題に弱かったと考えられたのかもしれませんね。
設計側や都の関係者側から耐震について、1階部分に空洞を作るなら、その部分を埋めたほうがいいですよと良心的に進言したことから、盛り土をかっ飛ばして空洞部を埋めたのかもしれませんね。

【東日本大震災】の影響を考えると、都議会はこの時半年ほど休止されていたそうです。これも少なからず三ヶ月という短時間の変更に影響を与えているかもしれませんね。今の内にやっちゃえと・・・。

盛り土案自体が日本の様々な危機感の根本的な考え方が変わる切っ掛けの【東日本大震災】の前の物で、高床式より地下空間という考えはこの当時の危機感から来るものだったのかもしれませんね。

だとしたら、当然悪意は無かったわけで、この意見を上に上げると云うことはいけないことですが責めきると言うのは心が痛いところかもしれませんね。

震災当時を思い出すのも5年以上前なので苦しい部分もあるのですが、当時の市場長や幹部も豊洲はまだ先だからと、それよりも現状の震災対応が優先事項で上に報告しても・・・という考えも有ったのかも知れませんし、報告したけど、それよりも当時の優先事項があるからと右から左に受け流されたのかもしれませんね。

豊洲市場の液状化対策は?

【東日本大震災】の時の埋立地の状況を思い出していますと、幕張地区を中心とした液状化現象が思い浮かびますね。言葉では知っていましたが、実際に映像として見た場合の衝撃は忘れられません。これを思い出して、豊洲市場は大丈夫なのかと調べてみました。

豊洲市場の液状化対策は、各区画を部分部分細かく分けていきます。そこに縦の杭を等間隔で何本も打ち込んでいく工法で行われました。

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引用元:第18回技術者会議  技術会議における土壌汚染対策工事完了確認状況のまとめ より

これが縦に杭を打ち込んでいく様子です。

そして、次の段階は強度の確認です。

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引用元:第18回技術者会議  技術会議における土壌汚染対策工事完了確認状況のまとめ より
工法としては、
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引用元:第18回豊洲新市場予定地の土壌汚染対策工事に関する技術会議 説明資料 より

これの7の部分ですね。

この資料を見ていくと、3と4の図柄で【テント】というのが見えますね。テント?とありますね。これは揮発性の物質が出てきた位置の土を取り除く際にその部分にテントを張り拡散を抑える為だとされています。

ここまで気を使う工法をする人達が建物下の盛り土を安易に変更するとは思えないのですがね。となると、どこの部分で盛り土工法が変更されたのか。当時の市場長は知らない。と述べています。実際は右から左に受け流したが事実ではないのかな?と思われます。

2011年3月の頃を思い出してみると自粛ムード全開で、先の事を考えることも難しい状況で、当時の危機案件を踏まえることが一番とされていた時期でも有ったように思い出されます。

当時のベストが高床式ではなくて、地下空間を構築することだったのかもしれませんね。

よ~く思い出してみると、【東日本大震災】直後は東京都知事選がありましたね。石原東京都知事が直前まで出る出ないと言って松沢氏が出馬取り止めとなった選挙でした。あの時にこれを進めていたと考えると、報告しても右から左と言うのは有り得る話かもしれませんね。

そして、当時の築地の状況はというと、原発の放射能の流言で生鮮食品の安全が問われていた時期と、築地の老朽化で市場自体の耐震などが懸念されていた時期でありますから、市場長も先の事を考える予知が無かったとも言えるかもしれません。
という、妄想の同情は置いておいて、

東京都の職員が新しいコメントを出してきましたね。
土壌汚染対策法の改正を見据えての空間だったことが判明しました。
この土壌汚染対策法とは2008年から議論が始まって、2009年に改正が成立しています。これによって豊洲市場も土壌汚染調査の対象になりました。都の職員の認識では「法改正されれば将来 新たな汚染対策を迫られる可能性がある」ことから、職員の間では「さらなる安全対策として、土壌汚染をモニタリングする空間が必要」との認識があり、この法改正に備えモニタリング空間の設置の検討が始まっていたことが判明しました。

ということは、あの地下ピットへの搬入口も納得出来ると云うことになってくるのではないでしょうか?但し、当初は盛土をした上で【高床式】にすることを考えていたとのことです。この話が2008年~2009年のことですから議論された段階がどこまでだったのかを調べ無くてはいけません。市場長レベルに行っていたのかということになれば、2008年の段階では比留間英人氏ということになります。アレっ?比留間さん高床式何って言ってたっけ?空間はコスパが悪いで却下して無かったっけ?じゃあ、2009年に着任した岡田至氏?高床式の認識をしていたけど、モニタリングって言ってたっけ?

日建設計は「都と協議した上で地下空間の設計を行った。我々が勝手に勝手にやることはない」とコメントを出しています。

整理すると

  • 2008年に法改正される事を念頭にモニタリング空間の設置を検討
  • 2009年にはモニタリング空間が必要と認識。【高床式】で行く
  • 2011年3月の段階では地下空間は出ていない。
  • 2011年6月基本設計完了段階で地下空間が!

となっています。

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小池百合子知事の対応

現在、2009年7月~10年7月に「中央卸売市場」に勤務していた職員を中心に聞き取り調査をしている様です。

比留間英人氏の時期には盛土はどうなっていたのか?

技術者会議が09年1月に森度の方針を確認した後は、地下空洞案は検討されなかったと述べました。
そして、東京都の幹部によると、10年7月には空洞が決まっていたそうで、09年~10年7月の間に変更・決定したとのことです。

岡田氏は「結果が出されるまでは個別の取材は控えさせて頂く」とコメントしました。

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まとめ

どうやら、岡田至氏の時期に変更・決定が行われた様ですね。そして、退任した直後に石原慎太郎氏が承認しました。ですので、中西充氏、塚本直之氏、岸本良一氏は知らなかった~ではすみませんね。
新銀行東京時代から石原慎太郎氏の司令により活躍した岡田至氏。この盛り土の件も石原慎太郎氏の圧力があったのカモしれませんね。

だったら、猪瀬直樹も舛添要一も知らなかった、テヘッ、って訳には行かないんじゃないの?